乾ヤスタカ|コアなバイクブログ

CB125Tの系譜【1】CB初の市販スポーツモデル

CB125Tの系譜
目次

CBシリーズの誕生物語 ~伝説の始まり~

ドリームCB400FOUR・CB750FOUR、CB750F、CB1100R、CB400SF、CB1300SF…

CBはミドルクラス以上の車種を取り上げたサイトや雑誌が多く、125ccクラスがないので作りました。

※本記事は筆者の独断と偏見によって構成されています

CB125T JC06
CB125T JC06初期型

CB125Tは1977年から2003年まで本田技研工業が販売していたスーパースポーツモデル。その歴史を遡ると、初めて「CB」のネーミングが与えられた市販スポーツモデルCB92(1959年)にたどりつく。

CB125Tをよく知らない人は「ビジバイ」(ビジネスバイクの略)とか、HAWKやCB750Fの縮小版みたいに思っている方もいるようですが、大きな勘違いです。

現在のように大型二輪や、普通二輪が主流になる、はるか昔、バイクの主流は125ccなど小排気量クラスでした。

各メーカーがしのぎを削る競争の中で誕生したのが125ccのCB92、その子孫にあたるのがCB125Tです。

コアなCB125ccシリーズファンのためにCB125Tの歴史や、先祖となるモデルを順番に紹介します。

CBの名はここから始まった!

ベンリィ スーパースポーツ CB92

CB92 honda
出典:http://www.honda.co.jp/sou50/Hworld/Hall/2r/images/photo/20.jpeg

1959年発売
エンジン:空冷4サイクル2気筒OHCチェーン駆動
排気量:124.67cm3
最高出力:15.0PS/10,500rpm
最大トルク:1.06kg-m/9000rpm
最高速度:130km/h
車両重量:110kg
始動方式:セル&キック
変速機:4速リターン
販売価格:155,000円

「HONDAといえばCB」

それぐらい知名度の高いCBですが、CBという名称が市販車で使われたのはCB92が最初だそうです。

その名のとおりCB92はスーパースポーツ。

現代のSSと見た目はずいぶん異なりますが、RC30(VFR750R)やRC45(RVF750)と同じレースで勝つために生まれたバイクです。

1958年に発売された実用車C90がベース車両となっています。

神社仏閣スタイル ベンリイ C90

c90 honda
出典:http://www.honda.co.jp/sou50/Hworld/Hall/2r/images/photo/50.jpeg

1958年発売
エンジン:空冷4サイクル前傾並列2気筒OHC
排気量:125cm3
最高出力:11.5PS/9,500rpm
最大トルク:0.91kg-m/8,200rpm
最高速度:115km/h
車両重量:115kg
始動方式:キック

「世界初の量産125cc4サイクル OHC2気筒モデルで、クラス最高の性能を誇った。ドリームC70同様に独自の神社仏閣スタイル。翌年にセル付のC92に発展した」

https://www.honda.co.jp/sou50/Hworld/Hall/2r/50.html

「神社仏閣スタイル?!なにそれ」

って感じですよね。

当時、ホンダにかぎらず日本のオートバイメーカーはヨーロッパメーカーの影響を強く受けていました。

そこで当時の社長・本田宗一郎氏(ホンダの創業者)みずから奈良や京都を散策し、デザイン面で日本の独自性を模索。

C70に代表される独特の角張ったラインが誕生しました。

くわしく知りたい方はこちらでどうぞ

ドリーム C70 1957年

出典:https://www.honda.co.jp/sou50/Hworld/Hall/2r/images/photo/49.jpeg

この流れを見ると、最終モデルまで続くCB125Tの角張ったデザインは神社仏閣スタイルを継承したものだったのかもしれませんね

cb125t
CB125T JC06 最終モデル

世界GPに衝撃を受けた本田宗一郎

オートバイの歴史に残るホンダの世界グランプリ(マン島TT)出場宣言。

公表されたのは1954年3月20日。同年、本田宗一郎氏はマン島TTを視察。

初めて目の当たりにした世界GPマシン達は本田氏の想像を3倍ほど上回っており、圧倒されたそうです。

「宣言したからには参戦しなければならない。」

気持ちと同時に、会社としてのホンダも経営の危機に直面していました。レース出場だけでなく、市販車として売れるバイクを作る必要がありました。

ところが・・・

新興メーカーがホンダを圧倒

1955年11月

ホンダは浅間山火山レースに参戦。(正式名称は、全日本オートバイ耐久ロードレース)

現在の舗装されたサーキットではなく、未舗装のコースで行われるレース。マン島TTレースを手本にして開催されました。それでも、メーカー各社が技術を競い合う当時の日本では、本格的なオートバイレースという位置づけでした。

ホンダは350ccクラスで1位、250ccで2位。

ところが当時、バイク需要のメインだった125ccクラスではまさかの惨敗。

1位から4位を独占したのは同年に設立したばかりのヤマハYA-1。YA-1はヤマハが最初に製造発売したオートバイの第1号でした。

■ヤマハ YA-1 1955年

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/ya-1/img/1955_YA-1.jpg

エンジン:空冷2ストローク単気筒
排気量:123cm³
最高出力:5.6PS/ 5,000r/min
最大トルク:0.96kg-m/ 3,300r/min
車両重量:94kg
販売価格:138,000円

レースの活躍によって一躍、ヤマハはその名を知られることになりました。

ホンダとしては面目、丸つぶれです。

「走る実験室」は浅間レースから始まった

ホンダの名誉のために言っておきますが、河島喜好氏(本田技研2代目社長)によるとこんな舞台裏があったようです。

ホンダに限らず、当時はまだスポーツバイクがなかった。バイクは労働車、つまり生活の実用車で、その実用車を速く走るためにチューニングしてなんとかスポーツバイクにしていた。

その過程でアイデアや新機構を盛り込んでレースで試していった。

レースでは限界で走るためバイクの耐久性もわかる。その中で良いものは市販車に活用する。ところがホンダの癖で、新しいアイデアを取り入れすぎて失敗する事があった。

(本番前のテストで全部壊れて大慌てした事も・・・)

やり過ぎることもあって、レースに出れば負ける事が多かった。

(そういう時にかぎって本田宗一郎氏が観戦していた)

しかし、レースで得た技術やノウハウが市販車のレベルアップに大きく貢献した。 走る実験室の初代は、浅間レースのマシンです。

(参考 http://www.honda.co.jp/50years-history/limitlessdreams/mountasama/page02.html

ホンダの4ストといえば1979年、NR500での世界GP(現Moto-GPクラス)挑戦が有名です。

NR500

2スト500cc勢を相手に楕円形ピストンを採用した4ストDOHC 32バルブ V型4気筒500ccで対抗。当時のレギュレーションでは2ストも4ストも同じ排気量だった。

残念ながらNR500は世界GPで優勝することはできませんでしたが、数多のチャレンジから得られた技術はその後、ホンダの市販車やレーシングマシンに生かされています。

しかし、その24年も前、1955年からCBでさまざまな実験がすでにおこなわれていたのですね。

誰でも買えて、アマチュアがそのままレースで勝てるバイクをつくれ!

浅間山火山レースは、メーカー対抗戦で世界GP用ワークスマシンの参加が認められていました。

もう一つ、アマチュアレーサー対象のクラブマンレースがありました。クラブマンレースは、市販車か市販車の改造マシンしか出場できませんでした。

「レースは、培った技術を市販車にフィードバックするための実験室」

というのがホンダの考え方ですから、浅間山火山レースで勝つ事だけを考えてマシンをつくるわけにいかない。という事情がありました。

たとえスペシャルバイクをつくっても、アマチュアレーサーが買える値段で売らなければいけないからです。

・市販ストックの状態でレースに勝てる性能

・誰でも買える価格にする

2つの相反する条件をクリアすることが必要でした。

(これって、めちゃくちゃ難しいです)

ヤマハYA-1の辛酸から4年後、1959年に誕生したのが冒頭で紹介したCB92です。

CB92 honda

最高出力:15.0PS/10,500rpm
最大トルク:1.06kg-m/9000rpm

エンジンは、ベンリイ C90(11.5PS)を15PSまでチューニング。当時のライバル、ヤマハYA-3が6.8PSだった事を考えるとその凄まじさがうかがえます。

ただ、そのパワーを発揮できるのは高回転域のみ。

まだ3速ミッションが主流だった中、4速ミッションが採用されたCB92のパフォーマンスを引き出して走るのは
容易なことではありませんでした。

フロントのドラムブレーキはレーシングマシンと同様。

ガソリンタンクはアルミ製で軽量化。

当時のヨーロッパ製バイクに引けをとらない徹底したスーパースポーツバイクです。

市販車のCB92が世界GPマシンを打ち破る

CB92が発売されて間もなく、第2回全日本クラブマンレースが開催。

(アマチュアレーサーのためのレース)

優勝したのはCB92を駆る、若干18歳の北野元(きたの もと)選手でした。北野選手はなんと独走で優勝。

レース結果を見ると、参加車両20台のうち上位17位はすべてCB92。

まさにCB92の独壇場でした。

その後、北野選手は浅間山火山レースに招待出場しました。当時、すでにマン島TTに参戦していたホンダワークスも浅間山火山レースに出場。下馬評ではホンダワークス勢の勝利が確実視されていました。

が、

優勝したのは北野選手でした。

市販車のCB92が世界GPマシンを打ち破ったのです!

あえて例えるなら、ホンダワークスのRC213Vに、市販車CBR1000RRが勝つようなものでしょうか。CB92も北野選手も、飛び抜けた存在だったことがうかがえます。

このCB92の活躍が、現在に続くCBシリーズの歴史の幕開けとなりました。

北野元 CB92

CBシリーズ125ccクラス

さて、CB92の話が続きましたが、ここからCBシリーズ125ccクラスの紹介に入ります。

■ベンリィ CB125(CB93)

cb93 honda

1964年発売
エンジン:空冷4ストロークOHC2バルブ2気筒
排気量:124.6cc
最高出力:15ps/10500rpm
最大トルク:1.07kg-m/9200rpm
最高速度:130km/h
車両重量:127kg
価格:165,000円

スーパースポーツCB92の後継モデル。 ベンリィ(Benly)は本田技研工業が製造販売するオートバイに使用される商標。

見た目や名称こそ違うものの、CB125Tの先祖になります。というのも後に、CBシリーズが増えた事からネーミングを区別するためにCB125Tの名に変更されたからです。

名称変更の歴史
1:ベンリィCB125(1964年-)
2:ベンリィCB125T(1977年-)
3:CB125T(1982年-2003年生産終了)

一気に増殖したCBの兄弟車・・・

※125cc以外は割愛してます

■ベンリィ CD125

cd125
参照http://www.honda.co.jp/pressroom/products/images/motor/l_benly-cd125_1966-07.jpg

ビジネスユーザー向けに1966年に販売された空冷4スト2気筒。

同時期にCL125といったスクランブラーモデルも発売されていたようです。

CD125は1977年に新設計されたCD125Tの兄貴分といったところでしょうかね。CD125TはCB125T同様、ロングセラーモデルだったのでお互いによく間違えられやすいです。

続いては、単気筒シリーズ。

■ベンリィCB125S/SL125S/CD125S

SL125S

いま見ても格好いいデザイン。ほしくなってしまいます。

ホンダ社のサイトによれば、 1970年当時

SL125S モトスポーツ
CB125S ロードツーリング
CD125S ビジネス

というカテゴリ分けになってるようです。

つまり、単気筒と2気筒モデル合わせて6種類ラインナップされてたんですね。

1969年にはベンリィCB125のマイナーチェンジモデル?「ドリームCB125」が登場。

さらに1972年には、ベンリイCB125JXという新設計された単気筒モデルが登場。

「もう、わけわかんねぇよ! 」

と叫びたくなる状況です。

現在とちがって、当時はそれだけ125ccクラスが販売のメインだったということですね。そんなこんなで、どんどん増殖していった125ccのCBシリーズなのでした。

ポイントは単気筒と2気筒、2種類のモデルが存在するという事です。

2気筒モデル
ベンリィCB125 モトスポーツ(CB125T)
ベンリィCL125 ロードツーリング
ベンリィCD125 ビジネス(後期モデルCD125T)

単気筒モデル
SL125S モトスポーツ(後期モデルCB125JX)
CB125S ロードツーリング
CD125S ビジネス

新設計されたバイクも中にはありますが、おおまかにまとめるとこんな感じでしょうか。

後半はいよいよ、CB125Tシリーズです。

参考書籍

NRに興味のある方向け

CB125Tの系譜

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