湘南から箱根を経由して、和歌山方面へ長距離ツーリングに行ってきました。そのレポートと、走行インプレッションを掲載しています。
※本記事は旧ブログの記事を一部加筆・修正したものです。基本的にあえて当時のまま、掲載しています。
2015年5月26日
PM10時 茅ヶ崎市 晴れ
三重県津市に向けて出発。
CB125T最終型 JC06-160
走行距離:32,000km
主な整備内容と仕様(執筆時)
・Fタイヤ:ダンロップ900TT(ハイグリップタイヤ)
・Rタイヤ:ダンロップGT601(ツーリングタイヤ)
・フロントフォークOH
・フロントブレーキディスク新品交換
・ブレーキキャリパーOH
・ステンレスメッシュブレーキホース グッドリッジ製
・プロジェクトミューブレーキパッド
・エンジン カーボンクリーナー&マイクロロン施工
・リアサスペンション新品交換
・クラッチ、レギュレーター、クラッチワイヤー交換
・ろけっとパワーにんじん君GT(軽自動車用)
・ケンソー社 ワンオフ ジェットニードル&メインジェット
・NGKイリジウムプラグ
・フロントホイルベアリング交換
・ステムベアリング交換
・シート張り替え
・ニューテックZZシリーズ ブレンドオイル
ほぼレストア状態、ノーマルCB125Tでのツーリング。夜の10時ごろに出発して、箱根経由で目指すは三重県津市。
「走行距離3万キロを越えた125ccで果たしてたどり着けるのか?」
最初の関門:箱根峠
箱根の入り口あたりにたどり着いたのは、23時ごろ。
箱根は初めてだ。
真っ暗闇のなか、スマホも地図も使わず(地図は忘れた)カンだけを頼りに走る。
やはり上り坂は、125ccではきついという印象。標高がおおきく変わることもあって、濃すぎるようだった。
路面の状態もわからないので、40キロぐらいでじわじわ登る。
フロントタイヤは中古で購入した当時のままだったが、交換しておけばよかったと少し後悔。
真っ暗闇だったが月明かりが明るく
勇気づけてくれる
昔の旅人も同じように思ったのだろうか・・・
途中、国道1号線は125cc以下走行不可となったので、下道で静岡方面を目指した。
自動車・バイク泣かせの箱根峠
その昔、本田技研の創業者 本田宗一郎氏と、副社長の藤沢武夫氏が現役だったころ、箱根峠は鬼門だった。
というのも、箱根を通過しようとすると、各メーカーのバイクや自動車のエンジンが耐えきれず、壊れたからだ。だからホンダも新しいマシンをつくっては本田宗一郎氏以下、数名のスタッフが箱根峠でテストしていた。無事、箱根を通過できた時は一同、飛び上がらんばかりに喜んだというエピソードがある。
第2の関門:国道1号線
箱根を抜け、静岡県に入りバイパスを走る。
市街地に入るとさすがに明るいし、コンビニやガソリンスタンドもある。ノンストップで走り続ける。
時刻は真夜中。
「集会か?!」
と思わんばかりの台数のトラックたちが、轟音を響かせながら深夜のバイパスを駆ける。一般道だが、速度的には高速道路と変わらないぐらいの流れだ。
(沼津市〜富士市あたり)
意外にスムーズに進むと思ったら突如、「125cc以下は下車せよ」との表示。
・・・無情だ。
(のちにボアアップして軽二輪登録するのだが、この時の経験がきっかけの一つになっている)
その後、バイパスに乗ったり降りたりを繰り返して、やっと浜松市内に入り、浜名湖周辺に到着。
時刻は朝4時。
5月末の朝は、思ったより寒くて、ファミレスで休憩。(当時はまだ24時間営業で助かった)
愛知県のバイパス(1号線)は、車両一車線が多く125ccでは少しばかり気を遣う。予定より2時間押しで、三重県津駅に到着。
下道で目的地の熊野まで行くのは遠すぎるので、CB125Tは津市のレンタカーに預けて、フィットに乗り換え。
完成して間もない高速道路を使って、熊野を目指す。
高速を使って、1時間ぐらい走っただろうか。やっと熊野に到着。
熊野周辺
入鹿温泉ホテル瀞流荘 (せいりゅうそうと読む)
温泉のある宿泊施設。静かで、バイクや自動車で行くならお勧め。
いずれも部屋の中からの風景。
瀞流荘から車で少し走ったところにある丸山千枚田。
ドローンを飛ばしている人や、長野からやってきたZRX1200 DAEGの方がいた。DAEG乗りの方は、朝から高速を使って埼玉から、やってきたとおっしゃっていた。
古いデジカメで撮影した写真なので、実際は数倍、美しい風景だ。
今回の旅は、移住先の下見が主な目的。観光もそこそこに、翌日は熊野市の市役所へ。
移住を考えていて、下見に来た事を伝えると、市の職員さんが市内を車で案内してくださいました。
(まさかのVIP待遇に驚き)
天気はあいにく曇り空でしたが、地元の?小学生たちが浜辺で授業を受けていました。
ほかにも赤城城(跡地)や花窟神社、居住者10名以下の集落など、あちこち案内してくれました。お昼は職員さんの同級生がやっている和食屋さんでランチ。
(鬼ヶ城の近くだったと思いますが店名を忘れてしまいました)
人口減で悩む熊野市と打開策
市内を案内してくださったのは、熊野が地元の推定20代前半の若い職員さんでした。
聞けば、熊野市は全国でもワーストの部類に入るほど人口減で、市としても悩んでいるとか。
職員さん「いいところだと思うのですが、私の同級生もほとんどが地元を出ていくんです」
私「どうしてですか、都会生活に憧れるからでしょうか?」
職員さん「一番の理由は、地元だと仕事がないからです。就職のために名古屋とか、都市部に出てしまうんです」
それまで人口について考えた事がありませんでしたが、言われてみればそのとおりだと思いました。
若い世代が転出してしまう最大の理由が「仕事がない」であれば、行政と地元ができるのは、仕事をつくることです。
岡山県真庭市の例:
放置状態だった山林を、官民一体となって山林事業化。若い世代の雇用を後押しすることになった。
移住者に奨励金を出す自治体もありますが、最終的に永住してもらわないと意味がないので、住み続けてもらうための環境を整えることが先決でしょう。
ほかには、在宅でビジネスをやっている人をターゲットにした誘致です。
投資家、ビジネスオーナー、コンサルタント、コーチなど、住む場所を選ばずに仕事ができる人たちがいます。通勤を考慮する必要がない人たちですね。
(基本、インターネット環境さえあれば仕事ができる)
いずれにしても長期的に見て、人口増に成功している自治体の事例を、国内外で探せばヒントが見つかるかもしれないですね。
(という話を職員さんにお伝えしました)
本州最南端
せっかくなので、南部も視察することに。
潮岬(しおのみさき)。関西では自殺の名所として知られています。火曜サスペンス劇場でおなじみの場所ですね。
灯台周辺から撮影
CB125Tインプレッション
■エンジン性能
カーボンクリーンやGP-01、02でケアしているとはいえ30000kmを越えたCBT。
内心、壊れやしないかと心配だったが
気温25℃
***km/h
8000~10000rpm
百数十キロ連続走行してもビクともしないエンジンには驚いた。まさしく国産カブと同等の耐久力だ。
帰宅してオイルチェックしたが消費はゼロ。
こまめなオイル交換とタペット調整など基本整備をしていればそうそう壊れないエンジンと言える。
あとはマフラーのカーボン除去さえすれば本来のエンジン性能を堪能できるだろう。
(18000kmも走っていればかなり詰まっている)
CB125Tは暖機するまで時間がかかるのでチョイノリには不便だ。
加速は同じ125ccのスクーターに負けるが、加速感や官能的なホンダサウンドは飽きがこない。
パワーバンドを維持すればキビキビした走りができる。
2スト乗りには楽しめる走り方だが、大型バイクに慣れている人は少しなじみにくいかもしれない。
■ハンドリング
現在(執筆時)フロントタイヤTT900GPは要交換レベル。
フロントフォークオイルは交換後、1年10ヶ月経過。そろそろ交換時期だ。
フロントフォークオイルの交換サイクルは、ストリートの場合、10,000km〜20,000kmまたは2年に1回とされている。ただし実務上、CB125Tのような小排気量バイクは入っているフォークオイルの量が少ないため、早めの交換が推奨される。
筆者のように年間走行距離が1万キロを超える場合、1年ごとに交換するのが望ましい。
ハンドルを取られるまではいかないが、フロントタイヤや、ステムベアリングの摩耗のせいか、80km/h以上だと微妙にハンドルにブレが出た。
2015年7月:
フォークOH(オイル少し多め)、ステムベアリング交換、ホイルベアリング、タイヤを交換。
どうやらFブレーキがディスクを引きずっていたらしく車体が軽くなった。
ステムベアリングはやや絞めすぎていたらしい。(メーカー出荷状態ではオーバートルクが多い)
結果:
フォークオイルも少々多めにしてフワフワ感のない感触になった。
直進でもコーナーリングでも振れることなくとても軽快で安定して走れるようになった。マシンのコンディションをのぞけば、ロングツーリングはとても軽快。
フロントフォークはかなり柔らかめ。できれば沈みをもう少し固くしたいところ。
CB125Tはもともと柔らかめの仕様だと思うが、フォークオイルの粘度や量、オイルやスプリングの劣化によって、かなり柔らかく感じる事もある。
ある程度、スプリング交換やセッティングで詰められる余地はある。
最新のインプレは下記参照。